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<プロフィール>

代表取締役 平田真也氏

平田真也氏

1994年、父が創業した平田建設に入る。大工・現場管理の仕事を通し、多くの住宅や商業施設の建設に携わる。2009年、父から代表を譲り受け、同年法人化。「健康な家づくり」にこだわり、化学物質によるアレルギーや喘息の方にもやさしい住環境を提案している。また、同社の職人が手作りする木製家具や、地域の作家作品も取り扱う店舗「RUCK LUCK(ラックラック)」の運営やインターネットショップを展開。2014年6月には、ハンドメイドのキッズアイテム専門サイト「namioto(ナミオト)」もオープンするなど、さらに事業を展開する。

1.大工として家づくりに携わりながら広げた「家」に対するこだわり

―――高校卒業後は、今とは全く違うお仕事をされていたようですが、なぜ建設業界に入られたのですか?

建設業で働き始めたのは、父の独立がきっかけでした。もともと父は左官職人でしたが、お世話になった工務店から依頼されて、そこを預かる立場にいました。そして、そこの息子さんが跡を継げるようになったのを機に、その会社から退くことを決めました。そして私が20歳の頃、自分で「平田建設」を立ち上げたんです。当時、私は食品メーカーで働いていたのですが、「父が新たに始めるなら一緒にやろう!」と思い、建設業界に飛び込みました。

代表取締役 平田真也氏

立ち上げ当初は、父と二人きり。現場管理を任されたのですが、この業界自体が初めての私には、「何も分からない」というのが正直なところでした。そこで、早く仕事を覚えなくてはならないと焦り、「一番早くこの世界を理解するには、何をしたらいいのか?」と、父に相談したんです。「それなら、大工の仕事が一番だ」と言われ、大工の親方を紹介してもらいました。

通常、大工が一人前になるには、7年かかると言われています。しかし、平田建設のことを考えると、できるだけ早く仕事を覚える必要があると思っていました。そのため、短期間で全てを教えていただけるようお願いしたんです。凝縮して教えこんでいただいた修業期間は、本当に「大変だった」としか言いようがありません。しかし、その甲斐もあり、2年半後には、職人として独り立ちさせていただくことができました。

―――大工さんとして、多くの住宅や店舗の建設に携わる傍ら、弟さんたちを職人として育てられたとか。

私が教えてもらった親方が、すぐ下の弟の修業途中で引退されることになり、その後、私が引き継ぐ形で教え始めたんです。もう一人の弟は、最初から私について仕事を覚えました。弟たちの育成と共に、大工の棟梁として現場を動かしながら、複数の現場管理も行うという状況を何年か続けました。

そして、2009年2月。父の引退を受けて私が平田建設の代表になり、同じ年の10月に法人化しました。現在、主にお客様と打ち合わせや、プランニングを中心とした仕事を私が担当し、弟たちが現場の管理・施工を行っています。弟たちが一人前になる過程もしっかりみてきているので、安心して現場を任せていられますね。それに、何かあれば、ちゃんと支えてくれるので、弟たちには感謝しているんです。

―――そうした経験が、お客様としっかりと向き合った建物づくりの原点なのですね。

住空間は、人にとって本当に大切なものです。だからこそ、お客様にも家づくりにはこだわりを持ってほしいと願っています。

平田建設の住宅に対するこだわりは、「健康な家づくり」です。シックハウス症候群やハウスダストに対するアレルギーなど、住宅内の環境を原因として発生している健康被害があることは多くの人がご存知ではないでしょうか?

私は、自分達が作った家が原因で、お客様が病気になられたり、怪我をされるなんてありえないと思っています。

「健康な家」と聞いて、ほとんどの方が思い浮かべるのは、自然素材で作られた家ではないでしょうか。それも一つでしょうが、突き詰めて考えると、それだけでは完全なものではないということが分かってきました。そして、いろいろ学んだ上で辿り着いたのが、長野県の会社が作った「通気断熱WB工法」です。