「原爆の悲録」

原爆の悲録

 原爆の悲録

「原爆の悲録」 森田幸男 著
(第二集 長崎 / 第三集 広島 / 第五集 原爆と平和)

小学校に寄贈されていたものだそうです。

被爆者の方々の体験記や描かれた絵、貴重な写真、

森田さんからお話を聞いた当時の小学生の感想文などが掲載されています。

第二集・第三集・第五集に掲載されている体験記などから、一部をご紹介します。

第二集 長崎

■第二集 長崎

 1945年8月9日11時2分、浦上地区に戦争でアメリカの飛行機B29が積んできた原子爆弾が落された。
 地上約500メートルの地点で、直径150メートルの火の玉になり爆発したのだ。爆心地から一斉に火を噴いて燃えたと言われている。
 強い熱の放射線で、あつい風が出て人や動物、山や野原、建物等あらゆるものに火がつき、何もかも焼けてしまった。残ったのはコンクリートの破片、かわら、レンガ、ガラスの破片、鉄片、黒焦げの木材等瓦礫の山と黒焦げで木炭のようになって死んだ人や動物の遺体で、足の踏み場もない有様だった。その時亡くなった人73,814人、大怪我をした人74,909人、全部焼けた家11,574戸となっている。
―――「長崎に落された原子爆弾」より

第三集 広島

■第三集 広島

 無数の人が猛火の中で焼死した。この現実は、忘れようにも忘れられません。戦争を知らない子供達に平和の尊さを知ってもらいたい。「戦争の悲劇を忘れないでほしい。」と願わずにはいられません。奇跡的に生き残った私達は、一日としてあの日の惨状を忘れることはありません。
―――「原爆の惨禍 私の八月六日」(体験記)より

第五集 原爆と平和

■第五集 原爆と平和

 我が国は、世界で唯一の被爆国です。戦争による地獄の惨禍を二度と繰返さないため、各の計画と製造を阻止し、戦争の根絶を訴え、世界に真の平和がおとずれるよう呼びかけ、みんなで世界平和実現への道を開拓していかなければなりません。
―――「世界平和の願い」より

太子町立図書館でも貸し出されています。

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森田幸男

1956年 兵庫県原爆被害者の会結成 理事就任
1963年 姫路市原爆被害者の会(兵庫県西播地区)含むを結成 幹事就任
1966年 兵庫県原爆被害者の会が解消し兵庫県原爆被害者連絡協議会となり常任理事就任
1977年 兵庫県揖保郡太子町原爆被害者の会設立 会長就任
1996年 兵庫県原爆被害者連絡協議会 副理事就任
2002年 兵庫県原爆被害者連絡協議会 相談役就任
      兵庫県揖保郡太子町原爆被害の会 顧問就任