【黒田官兵衛特集】黒田二十四騎・黒田八虎【2】

黒田官兵衛特集」では、NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公でもあり、はりま・姫路生まれの黒田官兵衛(くろだかんべえ)について、ご紹介していきます。

—————————————

前回(黒田二十四騎・黒田八虎【1】)からの続き。

—————————————

下克上が当たり前の戦国乱世の武将の中で、官兵衛は生涯において主君を裏切ったことも、家臣を手をかけたこともなく、家臣たちから大変慕われていたそうです。

その官兵衛の家臣の中でも、精鋭24名が「黒田二十四騎」といい、その中でも特に優秀な功績を残した8名が「黒田八虎(くろだはっこ)」と呼ばれています。

「黒田二十四騎」についてご紹介します。(≫黒田八虎については、 “黒田二十四騎・黒田八虎【1】” をご参照ください)

小河信章(伝右衛門) [おごうのぶあき(でんえもん)]
文禄の役では、明の大軍が押し寄せる中、主君の命令なくしては引けないと少ない兵力で敵を食い止め、秀吉から直臣(じきしん)に取り立てて大名にしたいと激賞された勇将。

久野重勝(四兵衛) [ひさのしげかつ(しへえ)]
朝鮮の役では、肥前名護屋城(ひぜんなごや)城築城の際に陣屋割をした黒田家の家老。

野村祐勝(太郎右衛門) [のむらすけかつ(たろうえもん)]
黒田八虎である「母里友信」の弟。文禄の役では、平壌(ピョンヤン)城攻め、晋州(チンジュ)城攻めで黒田家中の中でも華々しい戦果をあげたと言われています。

桐山信行(丹波) [きりやまのぶゆき(たんば)]
宿場町山家(福岡県筑紫野市)の代官を務め、「九州の箱根」と呼ばれる難所であった冷水峠(ひやみずとうげ)を開通させた人物。
また、肥前名護屋城へ長政の使者として秀吉を訪れた際、兜を拝領したと言われています。

村田吉次(出羽) [むらたよしつぐ(でわ)]
朝鮮の役では、1日に7つもの首を獲って、武勇の象徴である朱柄の槍と朱具足を許された人物。
また難物なところがあり、もめ事が多かったと言われています。

菅 正利(和泉) [かんまさとし(いずみ)]
吉次と同じく朱柄の槍と朱具足を許された人物。文禄の役では刀で虎を斬殺、関ヶ原では「槍の左近」と名高い島左近を鉄砲で撃つなど、剣の達人で武勇伝の多い猛将。

野口一成(左助) [のぐちかずなり(さすけ)]
上月城の戦いや、三木城の戦いで活躍した人物。また母里友信(ぼりとものぶ)の妹を娶り、その後、友信は黒塗り、一成は朱塗りの刳半月(くりはんげつ)の兜を着用した。

益田正親(与助) [ますだまさちか(よすけ)]
元々黒田家の水くみをしていましたが、官兵衛に見込まれてから供をするようになり、文禄慶長の役では足軽大将を、筑前へ移ってからは鉄砲組頭を務めた人物。

吉田長利(壱岐) [よしだながとし(いき)]
官兵衛の乳兄弟。槍働きで目立ち黒田家の武将として活躍た人物。また知略にも優れ、備中高松城の水攻めで舟を沈めて水を堰止める作戦は長利の考案によると言われています。

竹森次貞(石見) [たけもりつぐさだ(いわみ)]
毛利水軍との戦闘中に左手首を斬られましたが、官兵衛に戦況を見極める能力を買われ旗奉公となりました。 朝鮮の役や関ヶ原の本戦では、軍の進退を指示し合戦で立派に役割を果たしたと言われています。

衣笠景延(因幡) [きぬがさかげのぶ(いなば)]
端谷城(はしたにじょう/神戸市)の城主である衣笠氏の出身で、官兵衛の旧主・小寺家に仕えていたが、黒田家に転じた人物。黒田家と小寺家との交渉も担当したと言われています。

三宅家義(若狭) [みやけいえよし(わかさ)]
洞海湾の中ノ島にあった若松城で水軍を指揮した人物。また、上月城攻めの際には、支城ひとつ落とすのは簡単だと言った家義に、官兵衛は“山のように肝が据わっている”と「山太夫」と名乗るように言ったと言われています。

林 直利(太郎右衛門) [はやしなおとし(たろうえもん)]
文禄の役で渡海した際、長政や菅正利にならい槍を虎口に突き立て虎を狩った人物。関ヶ原の戦いや、その前哨戦でもある合渡川(ごうとがわ)の戦いでも長政にしたがい戦闘に加わりました。
また、父は甲斐の武田信玄の家臣でしたが、長篠の戦いで信玄の跡を継いだ武田信頼が敗れた後、姫路に移ったと言われています。

堀 定則(平右衛門) [ほりさだのり(へいえもん)]
長政の三男が分知された秋月藩で家老を務めましたが、苛烈な年貢の取り立てや不遜によって小田原藩へ出奔し箱根関所を守った人物。
また、元は黒田家の陪臣(家臣の臣)で、官兵衛に取り立てられ直臣となり「明石久七(あかしきゅうしち)」と名乗っていましたが、 城攻めの際、堀での機敏な動きが目立ったため「堀定則」と改名したと言われています。

原 種良(伊予) [はらたねよし(いよ)]
豊前国人一揆(ぶぜんこくじんいっき)に対する城井谷(きいたに)城攻めで長政軍が敗退する際、殿(しんがり)を担った人物。馬が泥田に落ちても慌てず、放歌しながら悠々と引揚げ、敵も呆気にとられていたと言われています。
また、和歌や連歌を好んだ風流な人物だったと言われています。

毛屋武久(武蔵) [けやたけひさ(むさし)]
近江出身で、六角承禎(ろっかくしょうてい)、柴田勝家、前田利家、佐々成政に仕えたが、佐々が備前国人一揆で改易(かいえき)された際、黒田家に300石で抱えられた。
蒲生氏郷(がもううじさと)から1万石での招きがありましたが、義理堅く黒田家に留まったと言われています。

—————————————

「黒田二十四騎」は、二十四騎を従える大将として、官兵衛の長嗣子(ちょうしし)である「黒田長政(筑前守)[くろだながまさ(ちくぜんのかみ)]」を加えた「黒田二十五騎」と称されることもあるそうです。

.

★ランキング応援クリックをお願いします★

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 兵庫県情報へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

:yacht: :xmas: :wink: :wine: :w01: :typhoon: :tv: :tulip: :train: :ticket: :thunder: :tennis: :takenoko01: :t-shirt: :sweat02: :sweat01: :sun: :sprinkle: :spa: :soccer: :snow: :sign02: :sign01: :shoe: :shine: :scissors: :sakura: :rvcar: :riceball: :ribbon: :restauran: :rain: :present: :pisces: :penguin: :pencil: :pc2: :onpu07: :onpu02: :notes: :noodle: :night: :naku02: :moneybag: :mikan01: :medamayaki: :maple: :mail: :kinoko01: :key: :kao-a02: :jitensya02: :japanesetea: :house: :hospital: :heart: :heart03: :heart02: :hana-ani04: :hana-ani03: :hairsalon: :futaba: :freedial: :foot: :fish: :fastfood: :f01: :eyeglass: :eye: :down: :dog05: :denim: :dash: :confident: :coffe: :club: :clover: :cloud: :clock: :clip: :chick: :cherryblossom: :cherry: :cd: :car: :car01: :cancer: :camera: :cake: :cafe: :bus: :bud: :bread: :bottle: :book: :birthday: :bin01: :bicycle: :bell: :beer: :baseball: :banana: :art: :apple: :annoy: :airplane: :aicon_bbs20: :aicon_34: :aicon82: :aicon33: :aicon111: :aicon110: :33: :